合気道には一教から四教、それを正面打ち、横面打ち、片手持ち、後ろ両手持ち、などでかかっていった時の対応する技や入り身投げ、小手返しといったいくつかの技がある。
それが出来ているかを審査する。
自分自身審査を受ける立場だったときは、何の疑問も持たずにやっていた。
一方で、合気道の目的は、というと護身術とか健康に良いとかさまざまあり、偉い先生に言わせると「天地の気に合するため」という。
それと技との間にギャップがある。
私が最初に師事した多田先生は初段は技がキチンとできているのが重要。
2段は澱みなく技が出てくるようにすること。
3段は腰が安定し中心線が崩れないいこと。即ち縦と横の線がキチンと出来ていること。
と話されていた。
それをただ同じ技の稽古の繰り返しをしているだけでは出来ないように思う。
その先の4段以降の目標は・・・?
ひとつは、相手と稽古をするときは相手と相似形になるようにといつも話している。
これは私が勝手に言っていることではない。
合気道は「剣の理合」を体術であらわしたものと、難しい事をいう先生もいるが、それが何かは説明していないように思う。
私は所謂剣豪小説が好きだ。
池波正太郎、司馬遼太郎、津本陽などの諸作家が書いた本をよく読む。
その題材になるのが、大抵江戸時代の有名な剣豪。塚原ト伝、柳生十兵衛、宮本武蔵、上泉伊勢守、その他大勢いるが、関心のない人にはまったくわからないと思う。
彼らは決して想像上の人ではない。
彼らの延長線上に、大東流合気術を起こした武田惣角がいて、その影響を受けた合気道開祖の植芝先生がいるのだ。
そこで「剣の理合」とは何か・・・だ。
そういった達人達は「相手を写せ」「影のように動け」といっている。
それは形の上でのことだと思うが、その中身は相手と同調することだと思っている。
即ち「合気」という事だ。
もっともその「合気」についても「天地の気に合すること」という言い方をされる方もいるので、開祖や昔の剣豪達がどこまでを指したのかはわからない。
しかし相手と気を合するのはまず入り口ではないかと思う。
それを4段以降の目標にすべきではないかと思う。
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