新しく稽古を始めて人に参考になるように少し書いてみます。
合気道を初めて稽古をする人は少なからず戸惑う事や疑問に思うことがあると思います。
それは通常の学校で習ったスポーツ的な動きと異なる点です。
学校の体育は<走る><跳ぶ><転がる><押す><引っ張る><蹴る>という運動が中心ですが、いずれも筋肉を緊張させて行います。
例えば、リレー、鉄棒、跳び箱、サッカー、野球・・・、武道なら剣道、柔道などです。
しかし、合気道ではそれらの運動を行うときの筋肉は使いません。
合気道の開祖は「合気道は米ぬか三合(450g)持てる力があればいい」と話しておられたといわれています。
実際、合気道の開祖は身長156㎝で巨漢の相撲の大関を投げ飛ばし、また30年前に亡くなった達人塩田剛三先生も身長154㎝と小柄で、合気道をアメリカに普及させた藤平光一先生も身長162㎝と小柄でしたが自分より遙かに大柄な外国人を圧倒していました。
私が習ったのは、彼らより少し後輩の開祖の直弟子といわれる人たちです。
開祖は「わしをまねろ」「同じように動け」といった事をいわれていたそうです。
実際に私が習った先生方は、「気がついたら倒れていた」、「開祖にもたれると体が透明になり、闘おうという気がなくなる」・・・といった事をいわれていました。
少なくとも、我々が格闘技をやるときに感じる「痛い」とか「倒された」といった感覚はなかったようです。
では先生方の様になるにはどのような稽古をすれば良いか・・・という事ですが。
先生方が常に重視していたのは<体捌き>と<相手の気にあわせた動き>です。
少なくとも力ずくで倒すような稽古ではありませんでした。
軽く触れてバランスを崩すように相手を誘導して倒していました。
その根底には<合気>というものがあったと思います。
具体的には
1.まず第一にやらなければならないのは<筋力>の否定=<脱力>です。
簡単に言うと通常格闘技でやるような、力いっぱい<掴む>とか<叩く>、<殴る>といった事をやるのは避けるべきです。
何故かというと、力いっぱい<掴む>とぃうとき、腕の筋肉を緊張させ、動きがそこで止まってしまうからです。
腕を掴む目的が相手を制圧する事ならば、相手の腕を後ろにまわすとか捻るとか一定の方向に持って行きながら相手のバランスを崩せば十分です。
ただ強く握っているだけなら、そこで動きが止まってしまうので、それから強引に制圧することになります。
そうなると大抵は筋力の強弱で勝敗が決まってきます。
足で地面を蹴るときも足の筋肉を緊張させますが、それでは一方向にしか動く事が出来ません。
いずれにしろ、筋力に頼ると、腕だけを動かすか、足だけを動かすといったように部分的な動きになります。
<脱力>すると、一部の筋肉だけに頼るのではなく、体全体をひとつの塊として動かすことが出来るようになります。
そのときは腰から動く感覚になります。
2.腕を持つことにより、相手の動きを察知する感覚を磨く
そもそも人が動くとき、あるいは腕を動かすとき、何かを掴もうとするとき、まず<心>があり、次にそれを具現化するための<気(あるいは意)>があります。
そして、<気(意)>の発動につられて<筋肉が作動>して、腕や足、体が動きます。
大体以下のような順序だと思います。
<心>→<気>→<神経>→<筋肉>→<行動>
従って、もしその<気>の段階を捉えることが出来たら、攻撃しようとする相手から逃げたり、有利な立場に立つことも可能となります。
しかし、相手の<気>を捉える事は簡単ではありません。
そこで最初の段階では、最も感覚的に鋭敏な<腕>を掴むことで相手の動きを察知します。
またこれにより、自分の動きをコントロールする事も出来るようになります。
稽古をしていくと、やがて腕を掴まなくても相手の動きが判ってきます。
3.そして相手から攻撃を受けないためには、ただ腕を持っているだけでは意味がないので、<体捌き>の練習が必要になります。
そこでは攻撃してくる相手との関係を考えると体捌きが必要になります。
即ち、相手の動きを察知し、自分が有利なポジションに立つための体捌きです。
相手が動いているのを見てから後追いで動くいていては、相手の攻撃に間に合いません。
相手の動きにおくれないためには、相手の<気>の起こりを捉える事が必要です。
即ち、相手が動こうとする<その瞬間>を捉えなければなりません。
それは目で見て動くのではなく、相手の動きを感じて一緒に動く事が必要です。
即ち、社交ダンスのように一緒に動く事です。
相手の動きを鏡に映したように同じ速度で動く事です。
同時に相手の呼吸と自分の呼吸を合わせることも必要になってきます。
それが出来るようになるためには<体捌き>の練習が不可欠になってきます。
これが出来てくると、相手の動きが良く判るようになります。
私の先生の多田師範(合気会9段)は常に「相手に同調しなさい」と言われておりました。
また江戸時代の剣豪の極意に「相手を映せ」というのがありますが同じ事だと思います。
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