合気道の指導は初段までと、3段までと、それ以上では変えなければならないのではないかと思う。
初段までは兎に角、技を覚える。
それでは何のための技なのかというと・・・一教、二教、・・・、四方投げ、小手返し・・・。といった技で相手を倒す。・・・そのための技と考えがちだ。
そして初段になりそれらの技をひと通り身につければ、後はその場に応じてどれかの技で対処できるように練習する。
そういうことをずっとやっていくのが合気道だ・・・と昔は思っていた。
それは丁度柔道で「背負い投げ」、「大外掛け」・・・といった技があるように。
しかし、合気会本部道場の市橋先生、増田先生(共に8段)からは一教、二教、四方投げ、なども多少習ったが、どちらかというと市橋先生からは体捌き、増田先生からは力の逃がし方や体の使い方などが主だったと思う。
それでも相変わらずそれまでに身につけた、一教、二教・・・四方投げを“強引”にやっていたので、先生にいつも注意されていた。
増田先生には「そんなに頑張ってどうするのですか」などと冷やかされていた。
そして「こうすれば簡単に崩せるでしょう」などと言われるのでマネをしたがなかなかうまくいかなかった。
しかしそんな事をしながら、考えながら、やっていると少しずつではありますが、できるようになってきた。
すると一教、二教・・・四方投げといった技に拘ることもなくなった。
要は相手を崩せばいいのだ。
そういった過程を考えると一教、二教・・・四方投げ・・・といった技は体を作るための技であり、それを持って“闘う”というようなものではないと悟った。
実際に護身術として相手と闘うとするのなら、YOU TUBEで見られる養神館合気道の塩田師範のようになると思う。
わざわざ無理な体勢から入り身投げや四方投げに持っていくことはない。
それらの原理を使っているのかもしれないが、塩田師範は入り身投げらしい入り身投げも四方投げもやっていない。
しかし養神館でも当然のごとく、一教・・・といった技は指導している。
それは必要だからだと思う。
塩田師範は合気道は「タイミング」と「当身」が重要だというようなことを何かで読んだことがありますが、そのような動きが可能になるための手段として、合気道の多くの技を習得するのが有効だということだと思う。
従って、指導者が白帯から、黒帯、高段者に同じような技を教えているのはかなり問題だと思う。
0コメント