合気道をやることの意味
なぜ人は柔道、空手、剣道、弓道などの武道というものをやるのだろうか。
子供は面白いから、親に言われたから、友達がやっているから
・・・・・・というのが当面の答えだろう。
大人になると「護身術に役立つ」、「ストレス発散」、「日本の伝統の技を身につけたい」、「強くなりたい」とかいったあたりが主な理由だろう。
私が最初に師事した多田先生(本部師範、9段)はイタリアで合気道を指導しているがそのときは「闘う相手と同化する」日本の武道の特色を広めると話していたように思う。
昨年末多田先生が「合気道に活きる」という本を出版された。
内容は多田先生が合気道を始めるきっかけとなった事や開祖の事そして家族のことなど、先生の合気道人生について書かれている。
すごく生真面目な先生の修行の話がほとんどで先生を知らない人には面白くないと思う。
その中で先生が合気道をやる意義として「生命力を強くする」といったことが書かれていた。
何故合気道をやるのか。
そしてやり続ける人が多いのか。
その答えのように思う。
私自身合気道を始めた理由は会社に入ってから体を壊しそのリハビリだった。
何故体を壊したのか。
仕事が合わなかったからだ。
こんな仕事をしてはいけないという気持ちと、社会人になったのだから現実の企業社会の中で仕事を一生懸命しなければならないという思いが常に心の奥で葛藤していた。
そして心と体がばらばらになっていた。
あるとき会社で仕事をしていたとき目の前が暗くなり倒れた。
それからは毎月一度は猛烈な頭痛と嘔吐に苦しめられ、色々な病院を訪問し変な宗教にも出かけた。
それ以外にも水泳をしたりヨガをしたり夏休みには槍ヶ岳に登ったりと様々な健康法にトライした。
食べ物も脂っこいものや肉は食べられなくなり、水と玄米と野菜と白身の魚といった病人のようなものしか食べられなくなった。
体重は50kgを切っていた。
あるとき合気道の本を見つけ読んでいたとき、「合気道は体にいい」という言葉が目につき会社の帰りに寄れる自由が丘道場に「とりあえず」入門した。
「とりあえず」というのは体力に自信がなかったからだ。
何故そんな弱った体で武道を始めるのかというと、もはや体を良くする他の方法が思いつかなくなっていたからだ。
「溺れるものわらをもつかむ」といった心境だった。
入門して最初は受身だがなかなか起き上がれず先生から「すぐに立ち上がってください」と注意されていた。
稽古に来ていた中年のおばさんや中学生に簡単に倒されていた。
おそらく体が枯れ木のようになっていたと思う。
しかしひと月くらいすると何故か体の調子がよくなってきているように感じた。
稽古が終わると体に血が通っているような気分になった。
そしてそれまで苦しんでいた頭痛や嘔吐も少なくなり、体の調子もよくなって来た。
病気から回復していく実感があった。
やがて体調は良くなってくると、合気道をやることに体の中が「喜んでいる」という状態を実感するようになり、週に1回程度だった稽古も時間があると道場に顔を出すようになった。
何が良かったかと今考えると、「力ずくで何かをやるのではなく、相手に合わせて動く」ということが良かったのではないかと思う。
「相手に合わせる」というのは「相手の呼吸に合わせる」ということだ。
そのころの自分は何でも「頑張る」というスタイルだった。
これは私自身だけでなく社会全体がそうだった。
当時の言葉でいうと「猛烈サラリーマン」であった。
それが肉体的な頑張りだけなら何とかなったのだが、心の方では反対だったから、その歪みが強烈なストレスとなったのだろう。
その結果体がフラストレーションを起こしたのだと思う。
どんなフラストレーションかというと、今考えると「気」の流れが止まっていたという現象ではないかと思う。
心の中で「仕事をしなければならない」という気持ちで「やってはいけないことをしている」という思いが葛藤していたからだ。
その結果、「気」の行き場がなくなり滞っていた・・・のではないかと思う。
健康な状態ではわからないが、今は体の中を「気」が流れていると思うようになった。ちょうど血液が体の中を流れているように。
合気道で相手に合わせて動くことにより、相手の気が自分に流れ、自分の気もそれに誘導されて流れるようになったのではないかと思う。
そのおかげで体調も回復したのだろうと思っている。
もしあのころ合気道に出会っていなければ今生きていないと思う。
多田先生の「合気道は生命力を強くする」という事なのだろう。
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