昨日は、普通の技(一教、二教・・・四方投)などをやった後に、相手が掴んできたり、殴ってきた時どう対処するか、という少護身術的な応用をやりました。
相手がかかってきた時に、通常は自分も前掛かりで対応しがちですが、そうなると「力」対「力」になります。
相手はより一層「力」を入れ、それに負けまいと「力」を出すことになるのが一般です。
しかし、それでは体の大きい人、力の強い人が勝つことになります。
それに対応するのは「力」ではなく、自分の「落ち着いた心」を元にした体捌きです。
合気道で有名な塩田剛三先生にいわせると「中心力」という言い方になります。
説明すると、相手が「力」を入れている段階で、その人は体(筋肉)が「硬直」しています。自分の体で実験してみると分かると思いますが、右手で何か重い物を持つと、体全体、足の裏まで「硬直」しているのがわかると思います。
その段階で動くことは結構大変です。
ケンカなら、しょうがないから手をはなして殴るという事になるのでしょう。
もし相手に掴まれたら、相手を無視して自分の態勢を維持しながら対応するのがベストです・・・が、それが結構大変です。
幼い頃からの習慣で「力」できたら「力」で対応するという生理的反射が出てしまいます。
それは「相手」に対して「自分」が対抗するという意識のなせる業だと思います。
「相手の力」を「自分の力」で何とかしよう・・・とする事です。
そうではなく、相手に強い力で掴まれたら、それを「相手」と意識せず「自分の一部」と感じることが必要だと思います。
いつも言う事で難しい感覚なのですが、慣れれば当たり前のように動けます。
塩田剛三先生の言葉でいうと「対すれば和す」という事になると思います。
開祖の口伝(?)では「二・八-十なり、四・六-十なり、五・五-十なり」という事らしいです。
これは、相手が2の力できたら8で対応し、4の力できたら6で対応し、5の力できたら5
で対応する・・・という事だと思います。
相手の2の力に対して3、4の力に対して5,5の力に対して6,というように相手より「強い力」で対応するのではなく、相手との力関係を常に十になるように対応すべきという事だと思います。
そこで「対すれば和す」という事になるのでしょう。
その為には「肩の力」を抜く。
相手と同じ様に動くために「体捌き」を練習する。⇒これにより「足の反発力」でなく「腰を中心とした動き」ができるようになる。
相手と同じ様に動く⇒「合気」道と言われる所以です。・・・ここでは体の動きと同時に意識(?)も同じように保つため、相手と同じ様に呼吸する。
・・・事が必要だと思います。
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