この言葉は、若い人は知らないでしょうが、半世紀前に一世を風靡したブルースリーの名言「Don't think,feel(考えるな、感じろ)」(https://www.youtube.com/watch?v=OKobmT_25ow)の真似です。
雨が降っていたせいか、気温はそれほど高くなかったが、湿気が強くじっとりとしていた。
コロナ感染者の数字が以上に増加しているが児童館は閉鎖になっていませんでした。
近所の病院の医師から聞いた話では、ワクチンを打っているから感染しても一般的には重症化しないという。
それがどれほどの事実かはわからないが、児童館も閉鎖せず、学校も休校になっていない理由なのでしょうか。
昨日の稽古は、最初は四方投げを数種類やり、それからは主に相手が胸を取りに来たときの対処法をやりました。
四方投げは毎回稽古しますが、これは重心の移動や体の動かし方の基本を覚えるのにもっとも適した動きで、開祖が特に好んだ技だと言われています。
「胸取り」というのは、ケンカになると、相手が胸を掴んでくるので、その対処法にもなります。
・相手が手を伸ばしてきた時、相手の腕の外側か内側に体を捌きます。
真後ろに下がっていては、相手がドンドン迫って来て、やがて自分がバランスをくずしてしまいます。
・そこで、相手の腕をどの段階でとるか・・・です。
相手が腕を伸ばしている途中で「しっかり」掴むと自分の動きがそこでとまってしまいます。掴むという事は、その段階で腕の筋肉が緊張し、同時に足の筋肉も緊張してその場にたちどまってしまうことになります。
この感覚は自分で実際にやってみるとわかります。
もし誰か協力してくれるなら、その人の腕を掴んでみると分かりやすい。
そのばでしっかりとつかむとそこで動きがストップし、相手の態勢も崩れません。
そして相手から反撃を食らってしまいます。
もし相手の腕に「そっと」手を触れて相手が動こうとしている方向に誘導してあげると、相手は簡単にバランスを崩します。
このとき難しいのは、その場で立ち止まって「そっと」手を触れているだけだと距離が短いので相手が崩れない場合があります。
伸ばしてくる相手の腕の動きに連動し、相手が掴みそこなってバランスを崩し前のめりに倒れる所まで移動すれば、相手を簡単に倒せます。
このとき「そっと」触れている段階では、腕の足も緊張していないので移動が簡単だと思います。
そして相手が崩れた段階で、外側に体捌きをしたら小手返しとか肘決め、簡単に一教でも極められます。
内側に体捌きをしたら、一教がやりやすいですが、相手が力いっぱい掴んできたら、投げた方が早いかもしれない。
いずれにしろ、「そっと」触れて相手の動こうとしている方向に誘導することが重要。
開祖や古い人は「導く」と言い方をしています。
その為には体のどこにも力を入れないことが重要です。
簡単なようでとても難しい。
・・・と思う。
もしかしたら今の若い人には我々ほど難しくないかもしれない。
というのは自分や同世代の友人は大変苦労しました。
それは、我々は小学校の頃から学校教育で常に緊張を強いられていたからです。
「起立」「礼」「座れ」といつも号令をかけられ、その度に体を緊張させていました。
体育の時も「全力」でやりなさいと教えられました。
「ゆったり」とか「ゆっくり」とか「力を抜いて」といった柔らかい表現は全くありませんでした。
そんな表現は「女々しい」とか「だらしない」という言葉で駆逐されていました。
おそらく父親世代の軍隊に行った時の教育の名残ではないだろうかと思います。
それまでは「我慢する」「頑張る」「全力でやる」・・・といった盲目的といって良いほど前しか向いていませんでした。
そのような「女々しい」「柔らかい」表現が文学の世界でも大手を振って出てきたのは、今から半世紀近く前の事。
日本では芥川賞をとった庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」からだと思います。
アメリカでもそんな文体で書かれたのは、この本のモデルと言われているサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」という本が嚆矢だと言われています。
自分の本当の感性を大切にする姿勢が出てきました。
この時代はビートルズにはじまり、ベトナム反戦運動や学生運動、ヒッピー、グループサウンズ、フォークと様々な文化が生れました。かのブルースリーも突然登場し大ブームを巻き起こし、あっという間に亡くなりました。
しかし、こういった含蓄のある言葉やジークンドーという新しい武術を起こし、後世に残しました。これは現在もYOUTUBEでは大人気のコンテンツのひとつになっています。
(https://www.youtube.com/watch?v=5J6MFBHw6rE)
合気道もこの頃から急速にアメリカで注目されるようなりました。
「人工的なものから自然へ」というヒッピー文化にマッチしたものだと思います。
1980年頃、私が通っていた町道場にもヒッピーまがいのアメリカ人が来るようになっていました。
なかにはアメリカンバンクの日本支社に勤めていた者がおり、その後ハーバード大学のMBAコースに受かったのでアメリカに帰っていきましたが、大変面白がってアメリカでも続けたいと話していました。
道場にも生徒がたくさん来るようになり、稽古するのも大変でした。
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