まず、なんの為に武道をやるのか・・・で稽古方法も異なると思います。
健康の為、ストレス発散の為、体を動かすのが楽しいから、日本の伝統武道を身につけたいから・・・といったのが大体の理由でしょうが、おそらく一番多い理由が・・・「強くなりたいから」 → 「身を護る為」「自信がつくから」ではないかと思います。
確かに若い頃は大抵の武道をやれば体が丈夫になり、それなりに自信もついてくると思います。
ところが、30歳代後半になると、それに疑問符?がついてくる人も多いと思います。
20歳代ではまだ認識してないでしょうが、その年代になると我々の体の発達は既にピークを過ぎていて、後は下り坂・・・という状態に入っています。
そこを気合だけで頑張る人もいますが、それでも30歳代後半になると体の衰えを自覚せざるを得ません。
それまで身につけた技が上手く使えなくなり、若い人には勝てなくなる・・・そんな思いが心の中に湧いてきます。
趣味でやっている人はそれでも問題はないでしょうが、おそらく学校関係者や教師といった方々は指導者としてその経験を教えるというスタンスに変って行くと思います。
武道(武芸)が仕事で時には実際に使わなければならなかった江戸時代ではそれに疑問を持つ人も多かったようです。
その中でとくに有名なのが白井亨という人です。
簡単に説明すると、剣術で生計をたてようと幼い頃から稽古を人一倍熱心にやり、その後剣術師範として今の岡山県で職を得たのですが、30歳近くになりそれまで圧倒的な強さを誇っていたのが、年とともに腕が落ちてきたことが不安になり、偶々江戸に戻ったとき嘗て自分が通った道場に行き先輩にその事を相談しました。
その道場は当時江戸でNO1と言われていたのですが、「竹刀稽古をする派閥」と「型稽古しかしない派閥」があり、型稽古の先生に悩みを打ち明け、立ち会ったところ手も足も出なかったそうです。このとき型稽古の先生は60歳を超えていたので、まさか白井自身そんな年寄りに負けるとは思わなかったようです。
以降その先生について稽古のやり直しに励んで、後に名人といわれるまでになった・・・というのが概要です。そのとき先生に言われたのが、「お前の稽古は邪道だ」といわれ毎日斎戒沐浴し、座禅を組み、型稽古に邁進し、その後大悟し名人になったといわれています。
この話は時代小説ではかなり有名で、私も読んだことがあります。
詳細はインターネットを見てください。
ところが同じ悩みは今でもあります。
私は40歳過ぎに住んでいた祐天寺というところで近くに居合いの道場が出来たので通うようになりました。
その道場は「有信館」という名前で、剣道の歴史に詳しい人なら知っている昭和の剣聖といわれた「中山博道」氏が指導していた道場の名前を縁があってもらっていました。
(当時は知りませんでしたが、中山博道氏は合気道の開祖と大変親しかったそうです)
その名前もあるのでしょうか、私が入門してから数年すると警察で剣道を教えている人や極真空手の指導者や合気道関係者が来るようになり外国人の入門者も増えました。
特に空手や合気道経験者は自分の技量に行き詰まりを感じていたようです。
私もその一人ですが、それなりに得る所は多く、現在、教えるのに役立っています。
スポーツ的にあまり考えずに同じ事を繰り返していても、ある年齢になると先が見えてきて悩みだすのは時代に関わらずあるものだという好例です。
そのときどうするかは自分で考えるしかないと思いますが、今の指導はそれなりに対処できるようにと考えています。即ち、筋肉に頼った動きではないところに重点を置いています。
何よりも重要なのは学ぶ人の「感性」だと思っています。
大学の体育会のように先輩の言うとおりやる・・・というのではロボットです。実は多くの合気道をやっている方にこの傾向が強いのが残念です。
他の武道は試合があるのでそれなりに巧拙が分かりますが、合気道は試合がないので無批判に「先輩のいいなり」になっているのではないかと思います。
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