私は会社を定年で辞めるまでは、仕事の帰りに時々本部道場に通っていました。
本部道場の稽古は1時間同じ相手と稽古をします。だから丁度良い相手だとそれなりに稽古を楽しめますが、あまりにも下手だと我慢の1時間になってしまいます。
無論逆もあり、あまりに強い人では何も出来ずにフラストレーションが溜まるだけです。
サラリーマンの場合、開始時間に遅れてくる人もいます。
そんなときは準備運動をしてから見知った人の中に入っていったり、他の遅れてくる人を待っていたりします。
私も時々遅れて稽古に参加することがありました。
20年以上前の経験です。
そのときも仕事の為に道場に着いたときは既に稽古が始まっていました。
準備運動をしながら周囲を見回すと、道場の後ろの板の間でひとり立っている外国人がいました。
背格好は私と同じくらいですが筋肉質でした。
準備運動を終え、その人に挨拶をして稽古を始めようとしました。
しかしその人の前に立ったとき一瞬で顔が強張りました。
別にその外国人が変な顔をしていたわけではありません。
正面に立った瞬間にこれまで感じたことのない異様な気配があったからです。
いわゆる“殺気”というものです。
技は正面打ちでしたが、それが一教なのか入り身投げなのかは忘れましたが、相手は合気道の稽古をする為に“技を仕掛ける”というような雰囲気ではなく、間違いなく相手を“殺す”という気持ちで向かってきました。
私はそのとき合気道の技とはいえない様な動きをしてしまいました。
相手の切り下ろしてくる手に自分の手を合わせながら下に引き落とすような格好になりました。
相手は強く打ちかかってきた勢いで顔面から畳みにぶつかりました。
かなり大きな音がしたと思います。
一瞬私の周りで稽古をしていた人が驚いて稽古をやめました。
そしてそのとき指導していた師範が驚いてやってきて私に「乱暴なことをするな」と怒りました。
そういわれてもとてもではありませんが普段稽古している技は出てきません。相手が襲ってきた(?)瞬間に体が動いただけです。
私もあまりに強く相手が畳みに顔を打ちつけたのでびっくりしました。
その外人は少しして立ち上がりましたがフラフラしていたので軽い脳震盪を起こしていたものと思います。
少し休んでからゆっくりとまた稽古をしました。
稽古が終わった後、話をしたところ、ヨルダンかイスラエルかは忘れましたが中東の国の人で兵役が終わったので以前やっていた合気道をまたやりたくて日本にやってきたそうです。
その当時中東はパレスチナ問題でテロや暴動が起こっていましたので、兵役につくということは軍人として闘っていたということだったと思います。
彼はおそらく常に戦いの中にいたので相手と稽古をするというより、正面に立った相手を倒す(殺す)というモードになっていたのでしょう。
それが私が感じた異様な“殺気”の正体だと思います。
私が遅れて道場に入っていったとき、かれがひとりでポツンと立っていたのは、彼は私のように遅刻をしたのではなく、彼と稽古をしようとして正面に立ったとき、誰もがその異様な気配に驚いて避けたのだと思いました。
かつて私が指導を受けた市橋先生はニューヨークの山田師範と懇意だということもあり、いつもグループ稽古をお願いしていた数名と一緒にニューヨークに遊びに行ったことがあります。
ニューヨーク合気会の人は警察官や警備員といった職業の人もいて、彼らは皆立派な体格をしています。
その頃私は3段でしたが日本でやっているようには技が通じませんでした。
先生はいつもと同じように指導していました。
先生と一緒に食事をしていたとき、「やりづらくないですか」と尋ねたことがあります。
先生は「どうってことないよ。若い頃厚木の米軍基地で教えていた連中からくらべればたいしたことない」と言って笑っていました。
当時の米軍の厚木基地はベトナム戦争に行く米兵の出発基地でした。
彼らはそこからベトナムに戦争に行くので、もしかしたら生きて帰れないこともあるようでした。
当然合気道を習いに来る人は趣味で習うというよりはベトナムで殺されない為に稽古をするという殺伐としたものだったそうです。
先生も若かったこともあり、上手く行かないときは、本部に戻り当時の合気道の師範部長の藤平先生にどのようにすれば良いのか教えてもらったそうです。
市橋先生も毎回命がけだったと話されていました。
私が偶々本部で出会った兵役を終えた外国人の相手をしたときに感じた思いを先生は毎回味わっていたのだろうと思うと体格の良いアメリカで相手をした人達も「どうってことないよ」というのも頷けました。
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