居合道の範士の称号の買収についてニュースで大きく取り上げられた。
私も、全剣道連盟の居合いはおそらく「その程度だろう」と思っていた。
私自身も居合を10年くらいやっていた。
習っていたのは祐天寺に住んでいたとき歩いて5分のところに道場があったので、日本刀で斬ってみたいという子供のような動機で始めた。
その道場は「有信館」という名前。
習いに行った当時は知らなかったが、昭和の剣聖といわれた中山博道が作った道場の名前を継いだ道場だった。(先生の親戚が有信館に関係していたそうだ)
そして中山博道は合気道の開祖とも親しいと何かに書かれていた。
その道場では居合と剣術と杖を習った。
警察の剣道関係の人や合気道経験者、極真空手の指導員などいろんな人がいた。
なかには時代劇をやる役者さんもいて時々道場で物まねをやったりして面白かった。
そこで、なぜ全剣道連盟の居合いを「その程度だろう」と思ったかというと、YOU TUBE で範士とか教士とかもっともらしい名前がある高段者の映像を見ると、あまりにもお粗末だとあきれていたからだ。
ひどいのになると剣を振ったあと剣先がぶれていたり、やたら肩に力が入っていたり、といっては申し訳ないが、単に格好つけているだけとしか思えない人が少なからずいる。
それならば、感心するような凄い人がいるかというと、少なくとも全剣連の制定居合という型をやっている人では見たことがない。
そもそも、なんで「居合」などがあるのだろうか。
「侍のたしなみ」とかいったところだろうか。なかには「剣道の精華」とすごいことを言っている人もいる。
しかし昔、侍が活躍していた時代に、あのように正座して日本刀を腰にさし、座って、抜く・・・ということがあったのだろうか。
あのような姿勢で日本刀を差していたら、相手は警戒するだろう。
普通は座敷に入る前に預けるか、もし持って入ったなら左側でなく右側で刃を自分のほうに向けておく(即ち、抜けない体勢にする)というのが、本来の侍の礼儀のはず。
時代劇で侍が日本刀を持って部屋に入ったとき、左側に置いているときがあるが間違った時代考証だと思う。
さすがにNHKではそんなことはしていなかった。
ところで、まともな居合いというのがあるだろうかというと・・・私が感心したのは黒田鉄山という人の居合いだ。
YOU TUBEに載っているので是非見てほしい。
座ってやるときは正座ではなく、座構えという胡坐のような姿勢だ。
それではなぜ彼は居合いをやるのかというと、体(特に腰だと思う)を作るためといっている。
私も最初は興味本位で始めたが、居合いをやることで、腰が柔らかくなり安定し、無駄な筋肉の緊張がなくなり、正中線というものを確保できたと思う。
それではなぜ全剣連が居合いを武道として認めているのか・・・他の武道と同じスタンスだからとしか思えない。
ついでにいうと、審査項目として「修業の深さ」、「礼儀」、「心の落ち着き」・・・といった抽象的なことが書かれてあるが、なんとなくお題目だけのようにしか見えない。
もう少しいうと、上述の黒田さんと他の人とは集中力や目の力がまったく違う。どちらが本物かがすぐわかると思う。
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2020.06.06 13:40